明治時代の大尉の自害について
明治の軍人は、「自分が病気で戦地から帰国し、部隊の指揮を取れなかったから自害した」みたいなことが普通にあったみたいです。
これだけ読むと、今の人とは感覚が違うなと思うかもしれませんが、下記のような状況を想像してみると、そうとも言い切れないのではと思います。
大尉ということは中隊、部下は200名くらいでしょうか。
一緒に訓練し、信頼で結ばれた仲間みたいな関係。
肝心な時に、自分が指揮できなかったせいで、多くの戦死者を出した。
戦死者の中には、十代の若者も多くいたでしょう。
自分が病気なんかになったせいで、一緒に命をかけて戦うことができなかった。
生き残った仲間にも、戦死者にも、その家族にも、申し訳ない気持ちでいっぱいに。
更に病気のせいで心も弱っている。
この重圧から逃れるためにも、また死んで責任を取るという社会的な流れもあって、自害を選んだのではないかと。
まあ、実際はもっといろいろ複雑な事情があったりするんでしょうけど。
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