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2017年3月 2日 (木)

宗教について

<メモ>

・仏教の「教え」に、「悪いことをすると地獄に落ちる」というのがある(釈迦は地獄のことは話さなかったとかは置いといて)。
 これを信じることで、「社会が上手く回る(民が、悪いことをしないよう、自ら心がけるようになる)」

・科学(科学教)では、地獄は存在しない。
 その為、「悪いことしても、人にバレなければ良い」という発想が生まれる。

・日本人の場合は、仏教や神道の影響で、科学を信じてる人でも、
 例えば、「悪いことをすると、後々自分に帰ってくる(逆もまた然り)」という考え方を漠然と持ってたりする。
 その為、多くの日本人(だけじゃないと思いますが)は、
 「道に落ちてた財布を警察に届ける」ということを宗教の有無に関わらず実行できる。

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上記を踏まえると、人類にとって「宗教」というものは、”社会を上手く回す為に必要”だと言える。
多くの宗教は、個人を救済するカウンセリング的な役割も担ってるが、そういうのとは違う意味で、「宗教的な教え」があった方が良い、ということ。

ただ、科学教に入信してしまっていると、今更、地獄がどうのと言われても信じることができない。
そこで、前回書いた「精神拡張(http://giw.cocolog-nifty.com/blog/2017/03/post-8218.html)」の考え方を使って、良い感じの「教え」が作れないだろうか。
精神や心は、科学で証明されていないのに、科学の世界でも「在る」ものとして扱われているから。

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コメント

初めまして、私は大学で宗教学の研究をしているものです。

社会を上手く回すという定義も勿論そうですが、価値観の確認や共有という意味で、海外で無宗教の人間は驚かれます。
相手が何を大事にする価値観か、分かり難い得体の知れない人だと思われるからです。

大体の日本人は無宗教と言っておきながら、結局はお葬式などは仏教形式で執り行うなど、意図せずとも仏教や神道の価値観が日常に溶け込んでいます。

実は心や精神は科学的に認められています。
それは日本に心理学の学会が存在し、科学的な知見や実験を論じる場が成立しているからです。
見えない心を、目に見える結果として成果を出す事が行えているというとこですね。

昔は人の心は脳にある(キリスト教的な視点です)とされていました。つまり頭の悪いものは心も悪いとされていた時代があったんです。
なので昔のギリシア人たちは自分達の頭が良い=心も良い人格者として尊敬されていました。
なので彼等は勤勉な民俗として生活し、結果多くの哲学者が生まれたりしていたんです。

この考え方を使うと、頭の良さを宗教観に取り込んでより科学的な意味付けがある教義を作れるのではないでしょうか。

突然のコメント失礼致します。

> 通りすがり 様

初めまして、ご意見有難うございます!

>つまり頭の悪いものは心も悪いとされていた時代があったんです。

凄いですね。

>この考え方を使うと、頭の良さを宗教観に取り込んでより科学的な意味付けがある教義を作れるのではないでしょうか。

いやいや、「頭が良い=心も良い」っていうのは違うと思いますし、多くの人も納得しないと思いますので、新たな教義を作るなら他の視点からですね。

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